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日本基督教団防府教会   週報より
by mtz0012
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おぼえがき
わたしは、日本原燃六ヶ所核再処理工場のアクティブ試験(実質操業)の中止と再処理計画の凍結を訴えます。

“STOP!再処理 ネットワーキング”


ちょっとお気に入りの宿


ごみっちゃんが、2006年10月24〜26日に東京でおこなわれた第35回日本基督教団総会を速報した「キョウダン総会ウォッチャー」
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<  2004年 05月   >
  • No.270 2004.5.30
    [ 2004-05-29 11:13 ]
  • No.269 2004.5.23
    [ 2004-05-22 20:16 ]
  • No.268 2004.5.16
    [ 2004-05-15 11:46 ]
  • No.267 2004.5.9
    [ 2004-05-08 16:57 ]
  • No.266 2004.5.2
    [ 2004-05-01 19:59 ]
No.270 2004.5.30
 ついに恐れていたことが起こってしまった。日本人ジャーナリストが襲撃され、遺体が確認された。
 読売新聞山口支局から取材を受けたこともあって紙面を入手した。そしてその社説を読んで驚いた。
 「…戦場や危険地域で、ジャーナリストやカメラマンが死亡するのは、決して珍しいことではない。…その中には、何人もの日本人が含まれている。しかし、いちいち大騒ぎされたわけではない。…事件は、犯行グループがまだ特定できず、日本人を狙ったのかどうか分からない。だが、自衛隊のイラク派遣と関係づける問題ではない。」…どうも読売新聞は「自衛隊派兵」にたて突くことをことごとく毛嫌いしているらしい。そんなヤワな精神では世界を相手に戦えない。だから「男らしく」使命に殉じた二人を「珍しくはないし特別騒ぎ立てることではない」とでも言うのか。確かに、戦場取材で亡くなったジャーナリストは数多い。彼らはいわゆる「自己責任」問題など軽々と超越していたのだ。彼らの文字通り命がけの記事や写真をいわば買いあさって新聞・テレビ・雑誌に仕上げるメディア側の自己責任はどうなのか。安全で平和な国内にいて、そのいのちを消費するだけのわたしたちに自己責任はないのだろうか。
 橋田さんは「大手のメディアの記者を現場で見ないな。社員の安全を優先するのは分かるが、本質は分からない。」と元カンボジア文民警察の集まりで語っていたという。フリーランスの気概に溢れる言葉だと思う。メディアのもつ二重構造(搾取の構図)を超越し、信念を追及した人の言葉だ。
 わたしもまた信念を追及しよう。自衛隊のイラク撤兵、世界市民の連帯を追い求めてゆきたい。
by mtz0012 | 2004-05-29 11:13 | 論評もどき
No.269 2004.5.23
 小泉首相が二度目の訪朝を行い、メディアはその報道一色で埋め尽くされた。今、土曜日の午後5時にこの「うた」を記しているが、おそらく今夜帰ってくる家族をめぐってさらに報道はエスカレートするだろう。
 ふり返ってみれば「拉致被害者」とされる2組の夫婦の子どもたち5人が帰国することだけが成果といえば成果だったかも知れないが、すでに家族については日本に返すことは伝えられてきていたわけで、どのようにして返すかのみが焦点だったことを考えるならば、今回その機会になったという程度でことさら取り立てて「手柄」とは思えない。
 総理の公的な表明としては「平壌宣言を誠実に履行することが日朝関係の基礎と再確認すること」が最大の目的だとして、今回の訪朝はその意義が十分に果たされたと言う。だが、平壌宣言を無力化したのは誰だったのか。国交正常化とは正反対に思える反応を繰り返したのは誰だったのか。それを乗り越える具体的なことは何一つ語られた節がないではないか。自身の年金未加入問題の火消しのタイミングで再訪朝が発表されたことは明らかだし、「拉致被害者家族の帰国」でもって派手なパフォーマンスを演じようとした目論みは、すでに国民の目にさえも覚めて見え、パフォーマンスとさえならなかった。「北朝鮮」を敵視する向きにも、友好視する向きにも「不十分だ」という反応がネット上では飛び交っている。そのように指摘されるのも道理と呼ぶ他はない。
 人の生活そのものを政治的パフォーマンスの素材にしようという目論み自体がまずもって批判されるべきだろう。「人道的」という表現のもつ空々しさが際立つ。イラクに対しても、「北朝鮮」に対しても。それがこの人の限界なのだ。
by mtz0012 | 2004-05-22 20:16 | 論評もどき
No.268 2004.5.16
 種田徳二郎さん、まつさん、正夫さんの合同の記念会が開かれた。徳二郎さんは丁度50年、まつさんが38年、正夫さんが23年になる。
 徳二郎・まつご夫婦は戦中の教会を文字通り支えてこられた方だった。大店ゆえにそれが出来たことは事実としても、敵性宗教への弾圧が事あるごとに繰り返される中で商売だけを考えるなら決して出来ない選択だった。当時を知る人は皆このご夫婦のことを忘れることが出来ないと記している。
 一方で、彼らのそのような行動を蔭に廻ってしっかりと支えた人の存在があることを、今回の記念会で今さらながら強く思わせられたのだった。多くの場合、蔭に廻る人々の存在は公的な記録には残らない。教会の例で言うならば、礼拝を大事にし、目に見えるかたちで教会を支えた人のことは記憶されても、その彼らを教会に送り出すために、逆に家を守り、商売を守った人のことは記憶されない。そして概して評価が低い。だが、蔭に廻る人がいなければ表に廻った人が活躍することも出来ないわけで、それを目に見える表面的な部分だけで評価することは、大いに的を外す危険がつきまとうことになる。
 わたしは牧師として、礼拝を大事にし、それに出席することを奨励してきたし、今後もそれは変わらないだろう。だがそれだけに留まらず、蔭に廻る人をどのように覚え支え合ってゆくことが出来るのかに鍵は隠されている。「数を問題にしない」ということはこういった事実にこそ裏付けられているのだ。「20人に満たないところは教会でない」など暴言だ。 問題は蔭に気づく能力と、そこまでを射程にしたこまやかな配慮。それが出来ない自分を恥じ、皆に詫びる他はない。
by mtz0012 | 2004-05-15 11:46 | 教会事情
No.267 2004.5.9
 第53回西中国教区総会が終わった。今年度は人事総会ではないのでそれほど目立ったこと、特筆すべきことは少ない中で、強いて言えば、第33回日本基督教団総会の議事進行に抗議して昨年教団問安使の来訪を拒否したが、今回は教団総会議長を迎えて意見交換に時間を割いたことだろう。
 しかしそれも「強いて言えば」のことだ。意見交換にしたところで新たなことは何一つなかった。4月初めに教団三役が沖縄教区を訪問したというが、それさえも沖縄教区に対する「謝罪」ではなかったというし、繰り返されるのは第33教団総会での「審議未了・廃案」の正当性の主張だけ。「『心にかけている』という言葉が沖縄に伝わらないもどかしさ」を嘆いて帰ったが、その言葉が本心ならば、たとえば今辺野古で続けられているオジイ、オバアの座り込みにただ一緒に座るような行動をこそ、求められているだろうに…。
 一方、教区総会の度に発行される「教会活動総括」に目を通すと、今年は「教会の将来についての話合い」がなされ、あるいは継続して考えて行こうとする教会がいくつもあった。教会の現状に横たわる漠然とした未来への不安、「先の見えない時代」と言われる社会状況を、教会もまた反映していることの表れかも知れない。ある意味社会を先取りした教会の姿─超高齢化や過疎、教会は社会より先に深刻な現実に直面している─がそこにはある。だが、その現実こそ「神の国」の祝福の姿なのではなかろうか。
 第34回教団総会は「年金総会」なのだとか。財政難を強調するが現に35億円を抱えさらにそれを上積みすることが本当に「福音的」なことなのだろうか。
 教会の真意こそが問われている。そんな印象を強められた。
by mtz0012 | 2004-05-08 16:57 | 教団事情
No.266 2004.5.2
 この1週間、年金未納問題では本当に笑ってしまった。先週は「お笑い番組か?」といまだ確信がなかったが、今週ははっきりと「お笑い番組だ」と断言しよう。
 当初3閣僚が「未納」だったという報道に接して、「これは叩けばいくらでも埃が出るな」と思ったが、あにはからんや与野党たがわず出るわ出るわ…。正確な人数を失するほど。
 冷静になって考えてみるならば、これが、わたしたちの国の実態なのだと分かり切る方がよいのかもしれないと思えてくる。「痛みを伴う改革」というスローガンにどこかうさんくささを感じていたが、今回のことを知れば納得がいく。「痛みを伴う」のは誰なのか。いや、誰が「痛まない」のか。今回の出来事はそれをはっきりと見せつけてくれた。にも関わらず「他人のことをとやかくいう前に自分の身を慎め」などと声高に叫ぶ某与党党首は、いったい何を考えているのだろう。いいかげん目を覚ましなさいと申し上げる他はない。
 六ケ所村でただ一人土地を売らずに残った小泉金吾さんは最近「年金こそこの国の民主主義の根幹だ」と熱く語られる。年金においていっさいの格差なく平等にすることができれば、この国の民主主義はついに完成するのだと言う。政治家たちの未納問題を見るにつけ、こっちの小泉さんの言葉はなんと高い志に溢れていることだろう。まやかしのスローガンではない迫力がある。
 キョウダンも年金問題が最大の課題なのだとか。しかし「必死で守らなければならない」と声高に叫ばれるのを見るにつけ、「どうもどこかと似ているなぁ」などと思えてくるのはいったいなぜだろう。そこでこそ「年金より伝道だ」と、「伝道」好きな彼らはなぜ言わないのだろう。不信は募る。
by mtz0012 | 2004-05-01 19:59 | 論評もどき